ニューヨークを作ったのは日本人

都市伝説


初めてニューヨークに行った大阪人は絶対に道に迷はない。

それにはれっきとした理由があり、それは家康の時代にまでさかのぼる。

家康は大阪城を手に入れて、江戸に戻るときに何人かの旗本を連れて帰ってきていた。

そのころは1600年くらいで、オランダがニューヨークを先住民から買い取っていた。

家康はオランダのウィリアム・アダムズと知り合いで、日本には凄い奴がいるとニューヨークの街づくりを家康に任せようということになった。

家康は自ら行くわけにはいかないので、一人の旗本を送り込んだ。

その旗本は、自分の気に入っていた故郷の大阪をベースに街づくりをした。

大阪もニューヨークもどちらも2つの大きな川に挟まれており、大阪は大和川と淀川、ニューヨークはハドソン川とイースト川に挟まれている。

共通点はまだあり、どちらも道が東西南北に整っていて、大阪は縦の道が「筋」で、横の道が「通り」になっており、ニューヨークは「ストリート」と「アベニュー」になっていてわかりやすくなっている。

あとは野球、大阪は阪神タイガースで、ニューヨークはヤンキース。

どちらの球場もちょっと街から離れたところにあり、どちらも屋根のない球場にこだわり、どちらも5万5千人のキャパになっている。

その他にも、ニューヨークは歩くスピードが世界一位で、大阪は世界第二位である。

信号を無視して渡ることをニューヨークでは「J ウォーク」というが、この「J」はジャパンの「J」である。

ニューヨークは日本人が作ったのではないかという証拠はまだある。

大阪は昔、東西南北の4区だったが、ニューヨークも4つの区だった。そこに一つの区が加わったのだが、その区の名前が「マンハッタン」だった。

実は、家康が送り込んだ大阪の旗本の名前は「秦(はた)」さんといい、大阪の人だから皆から「はったん」と呼ばれていた。

ニューヨークを作った偉大なる男から名付けられたのが「マンハッタン」だった。


家康から送り込まれた旗本は、ニューヨークの街づくりを任されて基盤をつくり、今も子孫が残り、ニューヨークと大阪を影で動かしている。





信じるか信じないかはあなた次第です。






やりすぎコージーDVD13 ウソか本当かわからない芸人都市伝説 第4章 より


やりすぎコージー DVD13 ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説 第4章