車輪、文字、外科手術、パピルス、下水道、製鉄、コンクリート建築、ネジ、滑車装置、製紙、
磁器、機械式時計、火薬、羅針盤、活版印刷、蒸気機関、白熱電球…
ホモ・サピエンスとは、およそ30万年前にアフリカで誕生した私たちの祖先である。
なぜホモ・サピエンスだけが生き残り、短期間でここまで進化を遂げることができたのだろうか。
その謎を解くカギを握っているのが、ネアンデルタール人である。
ネアンデルタール人とは、私たちホモ・サピエンスと同じ祖先をもちながら、およそ4万年前に姿を消した別の人類である。
研究者たちは両者の徹底的な比較を行ってきたが、頭蓋骨を比べても脳の大きさはほぼ同じで、知能のレベルに差はなく、言葉を使う能力や、火を使う能力にも差はなかった。
では、両者を分けたものは何だったのだろうか。
研究者たちが目を付けたのは、道具の違いだった。
ネアンデルタール人が作った石器は、どれもよく似た形で、狩りにも料理にも同じような道具を使っていた。
一方、ホモ・サピエンスの道具は、用途に合わせて大きさも形も多種多様なことが分かった。
ネアンデルタール人は25万年ものあいだ、ほとんど変化のない石器を使い続けていたのに対し、
私たちの祖先のホモ・サピエンスは、驚くほど次々と新しい道具を生み出していた。
さらに、こうした道具を使い始めたころから20万年で現代にいたっている。
車、テレビ、宇宙開発……とてつもない技術革新の速さである。
なぜ私たちだけが技術革新を成し遂げられたのだろうか?
その理由は「集団の大きさ」にあったと考えられる。
ハーバード大学のジョセフ・ヘンリック教授は「集団の大きさ」と「技術革新」のあいだに、ある法則があることを発見した。
1900年代初頭に行われた調査で、太平洋の島々で暮らす民族の人口の規模と、漁に使っていた道具の種類を比較したところ、人口1100人の島では道具は13種類、人口3600人では24種類、人口17,500人では55種類と、集団が大きくなるにつれて生み出す道具の種類が増えていった。
同じ法則が、ネアンデルタール人とホモ・サピエンスにも当てはまるのではないだろうか。
石器が変化しなかったネアンデルタール人は、家族単位の小集団で暮らしていたと考えられるのに対し、数々の道具を生み出していたホモ・サピエンスは血縁を超えて、150人規模の大集団を築いていたとみられている。
集団が大きければ大きいほど、技術革新が加速しやすくなる。これこそが「集団脳」という人間の進歩の力ではないだろうか。
小さな集団ではコミュニケーションの範囲が狭く、技術に詳しい人がいなくなってしまうと、やがて古い道具に逆戻りしてしまう。
しかし、大きな集団だと、情報のやり取りが盛んになることで新たなアイデアを思いつく人が増加し、そう簡単には技術が逆戻りせず、確実に受け継がれていく。
世代を超えて知識やアイデアを積み重ねるなかで、技術が革新し高度になっていく。
これが「集団脳」である。
私たち人間が次々と技術革新を生み出せるのは、個々人が賢いわけでも、一握りの偉大な天才のおかげでもなく、何世代にもわたって技術が累積するからこそ、高度な技術革新が生まれる。
人類の高度な技術革新のためには「大きな集団脳」が必要不可欠である。
その後の歴史の中で、人間は集団脳をさらに拡大していく‟あるもの”を発明する。
それはコミュニケーション技術である。
約5500年前(紀元前3500年頃)、シュメール文明で生み出されたのが、
人類最古の文字「くさび形文字」である。
これによって、知識や知恵を多くの人が共有し、時代を超えて伝承することが可能になった。
さらに15世紀頃、神聖ローマ帝国の時代「活版印刷」により情報の拡散を急加速させ、
宗教改革やルネサンスを後押しし、近代文明を開化させていく。
そして現代、私たちは究極のコミュニケーション技術を手に入れた。
それが「インターネット」である。
世界中44億人の利用者が自在につながる巨大な「集団脳」が出現し、様々な技術革新のスピードが一気に加速した。
その一つが、人類の火星への挑戦への突破口となった「3Dプリンター」である。
3Dプリンターが発明されたのは1980年代だが、性能の飛躍的な向上はインターネットが登場してからだった。
1980年代に発明された3Dプリンターの性能は長い間未熟で、精密なものを作るのは不可能だった。だが、2009年に3Dプリンターの特許による制約がなくなると、インターネット上で様々な技術改良のアイデアが飛び交い、ロケット開発に使えるほど超高性能に進化した。
「出・地球」という新時代の扉を開いたのは、人間ならではの「集団脳」による力だった。
(NHKスペシャル ヒューマン・エイジより)