今回は「ウマヅラビデオ」より「ナポレオンはわざと負けた【都市伝説】」を文字起こししました。
ナポレオンはわざと負けた?!
ワーテルローの戦いとは1815年、ベルギーのワーテルロー近郊で起きたプロイセン軍とフランスのナポレオン軍の争いのであるが、このとき、誰もがナポレオン軍が勝つと予想をしていた。
また、ナポレオンの時代から遡り、バスティーユ牢獄の襲撃から始まったフランス革命で、ルイ16世、マリーアントワネット、ロベスピエールなどが処刑され、誰もが納得する支配者がいなっかったフランスなのだが、そこに国民が待っていた独裁者・ナポレオンが現れた。
ナポレオンは1804年、国会の議決と国民投票でフランス皇帝の地位に就き、その後フランスはナポレオンの指揮によりヨーロッパ全土を制圧した。
そして1810年、ナポレオンはヨーロッパ全土の王国と血縁関係のあるハプスブルク家の出身であり、神聖ローマ皇帝フランツ2世の娘であるマリー・ルイーズと結婚した。
それからなぜか勢いは失速し、ナポレオン軍は連戦連敗を繰り返すようになる。
そして1813年、ライプツィヒの戦いに負けパリは陥落し、ナポレオンはエルバ島に流された。
その後、ナポレオンは再び皇帝に復帰するも1815年、ナポレオン軍対イギリス・オランダ軍(プロイセン連合軍)の、ヨーロッパの覇権を賭けたワーテルローの戦いではナポレオンがミスを重ね、無謀な正面突破を図り敗北し、セントヘレナ島に幽閉された。
しかし、ナポレオンは処刑されることはなく、2度も島流しで済んだのには疑問が残るが、それはナポレオンがわざと負けたからである。
ナポレオンは当時の妻・マリー・ルイーズを経由し、敵国のイギリスと繋がっており、ナポレオンはイギリスの財政危機を救うため、わざと負けるように懇願されたのである。
ネイサン・ロスチャイルド
そして、このワーテルローの戦いの結果を知っている人物がいた。
それがネイサン・ロスチャイルドである。
ネイサン・ロスチャイルドとは、現在総資産約1京円を保有するロスチャイルド家の人間で、イルミナティやハプスブルク家と深い関係を持ち、ロンドンロスチャイルド家の祖に当たる人物である。
ワーテルローの戦いでナポレオンが勝てばイギリスの公債は暴落し、イギリスが勝てば当然その逆で高騰する。
ある日、ネイサン・ロスチャイルドが急にイギリスの国債を売り始め、それを見て投資家たちはイギリスが負けたのだと思い込み、英国債をこぞって売り始め、最終的に大暴落した。
しかしこの頃、ネイサンは紙くず同然となった英国債を買いまくっていたのである。
そして翌日、イギリス勝利の情報と共に英国債は暴騰した。
これは世界最古のインサイダー取引と言われている。
ネイサン・ロスチャイルドはイギリス勝利の情報をいち早く入手していたというわけである。
これにより、多くの投資家とほぼ全ての名門の家系が破産したのに対して、ロスチャイルドは約100万ポンドの利益を得て、この日の賭けだけで財産が2500倍に増えたといわれている。
そして、これを契機として、ロスチャイルドのイングランド銀行支配が始まり、日本銀行を始め、世界中の銀行を支配することとなった。