アポロ15号と月のモナリザ
アポロ計画(1961年~1972年)
NASAによる人類初の月の探査を目的とした有人宇宙飛行計画。
通算6度の月面着陸に成功。
ケネディ大統領のもと、アメリカが行った人類の宇宙開拓史における最重要プロジェクトがアポロ計画である。
公式発表では1972年のアポロ17号による月面着陸をもって終了したと言われているが、実はアポロ計画にはその続きがあった。
1975年、アメリカ・ソ連と共同で行われたアポロ・ソユーズテスト計画で打ち上げられたのがアポロ18号である。
そして、アポロ19号と20号も実は存在していて、その後も月に行ったという話しがある。
アポロ19号と20号の飛行がなぜ秘密裏に行われたのかというと、それは月にとんでもないものがあったからである。
それはアポロ15号が月の裏側で発見した「東洋のモナリザ」と呼ばれる人間そっくりなミイラである。
このミイラはヒューメイリアンで、アポロ19号と20号はこれを極秘に調査するために月に行っていたのではないだろうか。
※ヒューメイリアン…人間と宇宙人のハイブリッド
※ヒューメイリアン関連記事→第7感とヒューメイリアン
そして、アポロ15号が月に接近したときに宇宙船の窓から撮られた写真がこちらで、クレーターの凹みに沿ってアンテナのような機械が立っているのが見える。
さらにアポロ計画の中で、月に6種類の宇宙人がいたことも分かっている。
マーキュリー計画
ケネディ大統領の業績としてよく語られるアポロ計画であるが、実はアポロ計画はケネディが立ち上げたプロジェクトではなく、就任の前から計画はあった。
では誰が立ち上げたのかというと、ケネディ大統領の前任のアイゼンハワー大統領なのである。
1958年、アイゼンハワー大統領がサインし、アメリカ航空宇宙局=NASAがアメリカ初となる有人宇宙飛行計画が始動する。
それがマーキュリー計画である。
マーキュリー計画(1958年~1963年)
アイゼンハワー大統領が画策し、アメリカで実施された有人宇宙飛行計画。
マーキュリー計画は1961年には有人弾道飛行を行い、翌1962年に有人宇宙船が衛星軌道に到達し地球を周回し、見事に目的を達成する。
このマーキュリー計画をさらに発展させ、月を目指したのがアポロ計画で、実はアポロ計画はアイゼンハワー大統領のもとで動き出していたのである。
アイゼンハワー大統領こそ、アメリカ宇宙計画の礎をつくった人物なのである。
では、彼はなぜこれほどまでに宇宙事業を進めたのだろうか。
表向きにはソ連との競争のためといわれているが、実はマーキュリー計画の前の1954年にアイゼンハワー大統領は宇宙人とテレパシーで交信し、しかも宇宙人と会っていたのである。
アイゼンハワーはその時に宇宙人から宇宙へ行くための技術を提供してもらい、その代わりに一部の人間とグレイとのハイブリッドをつくる計画「グリーダ条約」に合意したのである。
グリーダ条約
①この協定は秘密にすること。
②エイリアンは合衆国政府に対して「技術供与」もしくは「技術開発の促進」を行う。
③エイリアンは地球上の他国とは協定を結ばない。
④その見返りとして、合衆国政府は極く限られた人数に対して期間を区切り、アブダクションを実施する権利を有する。
そのころペンタゴンで働いていた顧問が、アイゼンハワー大統領が宇宙人と接触していたことを2014年に暴露しているため、この話しは都市伝説ではなく事実とみられている。
そして、ヒューメイリアンの女性であるジェーン・プーリー氏の母親は、実はこの時のアイゼンハワー大統領が合意した「グレイとのハイブリッド計画」の中の一人だったのである。
※ジェーン・プーリー氏についての記事→第7感とヒューメイリアン
宇宙人との子供を産んだプーリー氏は、容姿が人間に近かったため地球で生活しているので、幼少のころから幾度もアブダクションされ、グレイに私生活を監視されているのはこのためだったのだ。
最後に、アイゼンハワー大統領のフルネームは「ドワイト・D・アイゼンハワー」である。
新たな宇宙の情報が出てくるにつれ、「Dの意思」も再び姿を現している。
信じるか信じないかはあなた次第です。
(2018/11/9放送 やりすぎ都市伝説より)
(Mr.都市伝説関暁夫の都市伝説7より)