坂本龍馬のクーデター
1867年11月9日(慶応3年10月14日)、江戸幕府第15代将軍徳川慶喜の代に、政治を幕府から朝廷のもとに返す大政奉還が行われ、この日を境に我々日本人はトースターでパンを焼いたり、電車に乗ったり、英語を喋ったりすることを覚えてきた。
このように、日本の政治や習慣が一気に変わったこの時期を文明開化と呼ぶが、今の日本にも第2次文明開化の波が来ている。
まず明治維新を簡単に説明すると、1853年のペリーの黒船来航を機に、みんながあたふたしてしまい、それは時の権力者である幕府も例外ではなかった。
江戸時代にはまだ階級制度があったため、黒船来航に揺れる幕府に目を付け、これに乗じて地方の攘夷志士達が国を変えるべく動き出した。
当時の長州藩の人たちの中にもその志を持った人たちがいて、その中の一人に木戸孝允(桂小五郎)もいた。
「外国人が黒い船に乗ってやって来ただけで、幕府の連中はあんなにあたふたしてるとは頼りない。天皇さん、なんとか言ってやってください」などと言い、京都の朝廷に対して発言力を強めていた。
だが、そのことに対し薩摩藩の西郷隆盛らはよく思っておらず、武装して天皇の家の周りを固めて長州藩を追放した。このことを八月十八日の政変という。
京都を追い出された桂小五郎らは禁門の変を起こすが敗北し、天皇に喧嘩を売った逆賊として長州藩は武器を買う権利を失った。
しかし、西郷隆盛も外国の脅威に対して打開策を出せない幕府に対し不満を抱き失望していた。
そんな時に西郷のところに幕府が長州を討とうとしているという情報が入り、そこで西郷は「薩摩と長州は外国の脅威に立ち向かおうとしてるのに、幕府は国内の不満潰しをしているだけ」と気づき、「長州と争っている意味はない」ということで薩長同盟が結ばれた。
この薩摩と長州が仲直りした薩長同盟を仲介したのが、かの有名な坂本龍馬である。
なので、薩摩に幕府が長州を討とうとしているという情報を流したのは坂本龍馬かもしれない。
長州は国に逆らった逆賊として武器を買う権利を奪われていたため、龍馬は薩摩名義で武器を長州に横流しし、長州に倒幕の準備をさせるよう西郷を説得する。
この武器の横流しで長州は幕府を倒す準備ができ、代わりに長州は米不足だった薩摩藩に米を提供することで利害関係は一致していた。
ここから日本の乗っ取り計画が遂行していく。
龍馬は倒幕のために、長州藩から後の初代内閣総理大臣である伊藤博文を武器買い付けのために長崎へ派遣し、当時の最先端をいっていた西洋製のミニエー銃4300丁とゲベール銃3000丁を、イギリス人商人のトーマス・グラバーから総額9万2千400両(約169億円)という大金で購入したと言われている。
龍馬や後の日本の政治を動かしていく幕末の志士と仲の良かったグラバーは、イギリスから派遣されたマセソン商社の日本支部担当者で、このマセソン商社のトップにいたのが陰謀論でおなじみのロスチャイルド家である。
ただの土佐脱藩浪士であった龍馬に、戦争のための武器を集めるほどの資金があったとは考えづらいので、何か後ろ盾があったに違いない。
日本乗っ取り計画をしていたロスチャイルドはグラバーを日本に派遣し、龍馬を使って日本の倒幕2大勢力であった薩摩と長州を一つにして、日本政府を乗っ取るクーデターを成し遂げた。
長州ファイブ
明治維新の最中にイギリスに留学した長州ファイブには、初代内閣総理大臣伊藤博文、外務大臣井上馨、法制局長官山尾庸三、造幣局長官遠藤謹助、鉄道庁長官井上勝はそれぞれ、内閣の父、外交の父、工学の父、造幣の父、鉄道の父と言われ、日本の西洋的発展を進めてきた。
そんな長州ファイブのイギリス留学費用は今のお金に換算すると約10億円で、この大金を用意してイギリスにやって来た彼らをかわいがったのもロスチャイルドと言われている。
これは考察だが、おそらくロスチャイルドは、彼らに表向きの権力を与える代わりに日本に自分の支配する中央銀行を作りたかったのだろう。
実際に、日本は明治時代を境に色んな国と戦争を始めていき、物質的な進化を遂げていったわけだが、それと引き換えに武士道という日本の精神はどんどん衰退していった。
「かごめかごめ」に隠された明治維新
明治維新とは「鶴」と「亀」が統べった日である。
「かごめかごめ」の歌を知っているだろうか?
「夜明けの晩」を表すのがおそらく「明治」で、「鶴」は「日本」を表し、「亀」が表すのは「六芒星」で「ロスチャイルド」、「滑った」は「統べった」と書く。
即ち、「日本」と「ロスチャイルド」が一つに統一されたということ。
この歌が成立したのは明治と言われてるが、この歌自体はおそらくもっと前から存在していただろう。
そして日本人はいずれ、日本にユダヤ系の力が入ってくることを知っていた。
しかし、明治維新で日本に入って来たのは偽ユダヤである金融ユダヤの勢力であった。
なぜ坂本龍馬はクーデターをおこしたのか?
今でも幕末のヒーローとして絶大な人気を誇っている坂本龍馬が、なぜ日本を金融ユダヤに受け渡すようなクーデターをおこしたのだろうか?
おそらく、龍馬は上の存在に利用されていたのだろう。
僕もあなたも、人はいつも自分より上の存在から利用される。
そして、いろんな思想を植えつけられる。
しかし、自分自身が利用されていることに気づけて、周りを見渡す視野を持つことを忘れなければ、そこから多くのことを学ぶことができる。
月派と太陽派
物質とは意識と意識が戦った後の産物である。
この世界は月派と太陽派の戦いを繰り広げながら、今の物質主義社会を作り出し、その戦いは今も続いている。
具体的にいうと、月派の意識はローマ教皇、ロックフェラー、アメリカ側の意識で、太陽派の意識は天皇、ロスチャイルド、日本の意識である。
龍馬をはじめ、吉田松陰や伊藤博文などは太陽派である。
「銀魂」のラスボス吉田松陰はテロリスト
特に吉田松陰はこの時代において重要な思想の持ち主で、大河ドラマなどでは凄い偉人のように扱われているが、ただのテロリストである。
「銀魂」で吉田松陰がラスボスとして描かれたのは空知先生もそれを知っていて、実際の幕末の志士たちは物質世界を発展させるただの悪魔崇拝者たちだったが、「銀魂」の世界の幕末の志士たちは精神世界を発達させるために描かれている。
龍馬を暗殺したのは月派のアメリカ側
それでは、そんな太陽派の人たちに転覆させられた幕府は月派の組織だったのかというと、そうではない。
幕府もまた、時代の流れ的に開国して大政奉還せざるを得ないことにうすうす気づいていたので、太陽派の言うことを聞いて、ロスチャイルドに日本を受け渡した。
その代わりに、徳川家は明治になっても内閣の中で貴族院という立場での権力を約束されていた。
なので、大政奉還後におこった戊辰戦争で旧幕府軍として戦った最後の武士達は、結果を知っている権力者たちの私腹を肥やすために戦わされて死んでいったわけである。
では、龍馬を暗殺したのは誰なのだろうか?
学校で明治維新を習ったときは幕府の人間に暗殺されたと思っていたが、おそらく月派の人間であるアメリカ側に暗殺されたのだろう。
日本で最初のフリーメイソン ジョン万次郎
龍馬が設立した海援隊を、龍馬暗殺後に引き継いだのが後藤象二郎で、それをまた引き継ぎ三菱財閥へと成長させたのが岩崎弥太郎である。
後藤象二郎と岩崎弥太郎、この2人に教えていたのが、おそらく日本で最初のフリーメイソンジョン万次郎である。
ジョン万次郎は漁師だったがアメリカまで漂流し、そこでたくさんのことを学び日本に帰ってきた。
アメリカの思想、つまり月派の思想を持ったジョン万次郎に教えられた後藤象二郎と岩崎弥太郎が、太陽派であった坂本龍馬の会社を暗殺後に乗っ取った。
龍馬暗殺については、暗殺される前に龍馬は味方の太陽派の手助けでスコットランドへ逃げた可能性もある。
こうして、多くの人たちの意識と利害関係が複雑に交差しながら明治維新が成し遂げられ、今の社会ができている。
なので、今の社会をはっきりと見るためには歴史の勉強は必要不可欠なので、一緒に勉強してくれると嬉しいです。
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