【旧統一教会②】教団の歴史と特徴を知れば今の問題点が見えてくる!

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今回は前回の記事の後半です。

「中田敦彦のYouTube大学」より「【旧統一教会②】教団の歴史と特徴を知れば今の問題点が見えてくる!」で勉強しました。

旧統一教会の歴史・年表

1954年 ソウルで設立
1964年 日本で宗教法人認可 「原理研究会」
1968年 「国際勝共連合」
1971年 文鮮明アメリカ移住
1984年 「世界日報」告発記事(反日的教義)
1986年 「朝日ジャーナル」批判記事(霊感商法)
1989年 ベルリンの壁崩壊→路線変更
1991年 訪朝 金日成と接見
1992年 テレビ報道「合同結婚式」
1994年 改名「世界平和統一家庭連合」
2012年 文鮮明死去→韓鶴子
2015年 文化庁改名認可
2022年 安倍晋三元首相銃撃事件


原理研究会と国際勝共連合

これほど日本を蔑視する宗教が、なぜ日本でここまで続いたのだろうか?

それは歴史を見るとわかる。

旧統一教会は1954年にソウルで設立された。

教祖の文鮮明は北朝鮮での布教活動で迫害され強制収容所に入れられたところ、何とか脱出してきたというエピソードが伝説として残っているが、それが本当かどうかは分からない。

日本では1964年に宗教法人に認可され、同じ年に原理研究会というものができる。

「原理」とは原理講論の原理で、人間は罪を犯して堕落しているから復帰させなければいけない、復帰するには物販と勧誘が必要だという話である。※詳しくは前回の記事をどうぞ

この原理研究会というのは反共産主義の団体という触れ込みだった。

1960年代、日本でまず布教の基地となったのが大学のキャンパスで、そこで反共産主義の活動をするサークルとして始まっている。

なぜキリスト教団体として始まらなかったのかというと、日本におけるキリスト教のシェアは非常に低く、まずは布教のために反共産主義団体として始まった。

本来なら同じキリスト教に守られながら布教するのが一番いいのだが、教祖が再臨のメシアという異端な教義などのため、キリスト教の傘下には入れなかった。

この60~80年代までは反共産主義という布教の仕方で進んでいくが、中身は統一教会である。

中身を隠して反共産主義団体として始まったのは苦肉の策だったのではないかと言われている。

そして、この苦肉の策が日本で功を奏する。

打倒共産主義の組織として、学生に向けては原理研究会、大人に向けては国際勝共連合を作り、この国際勝共連合と自民党がタッグを組むことになる。



この勝共連合というのは共産主義に対して打倒するという政治的な団体として作られていて、日本に対して弾圧的な教義は秘匿されていた。

しかし、自民党はこの勝共連合と選挙協力をすることになる。

そして、旧統一教会は政権と密になることによって、どんどんとその力を増やしていく。

そんな中、1971年に文鮮明がアメリカに移住し、アメリカでも布教に成功していく。

そもそもアメリカというのはキリスト教の国なので日本より布教しやすく、なおかつ新宗教に対してあまり規制が厳しくなかった。

アメリカは自由の国である反面、拳銃や新宗教やドラッグが規制できなかったり、貧富の差などの、ダークサイドの一面もある。

日本で布教が成功したのは、学生運動と政治家に反共産主義に共鳴する人が多かったからであり、日本での布教のみ、反共産主義団体として80年代まで成長を遂げることになる。

政治では国際勝共連合をつくり、そして経済の分野ではハッピーワールドという企業連合をつくり、学術系では世界平和教授アカデミーをつくり、いろんなジャンルで関連団体を作り、それが大きくなることによって浸透していった。



日本での布教の仕方はアメリカや韓国での布教の仕方と異なっていて、特に日本では宗教を秘匿し、反共産主義という触れ込みでPRしていたというのが特徴的である。



世界日報と副島事件

そんな中1984年、世界日報という統一教会系の新聞社で事件が起きる。

この世界日報の編集局長は日本人の副島嘉和という人だったのだが、方針の違いから編集局長を外されてしまう。

編集局長を外され居場所がなくなった副島は、文藝春秋に暴露記事を持ち込んだ。

その記事の内容は「統一教会、勝共連合、および世界日報は、韓国中心主義で日本に対して差別的な教義を教えている」というものだった。



この暴露により何が問題になるかというと、自民党である。

自民党は、日本というものの価値に対して重きを置いている保守である。

ところが、仲良くしている勝共連合が反日主義で、イデオロギーがまったく真逆なのである。

日本の保守の本流である清和会(安部さん、岸信介の流れ)と、韓国中心主義の統一教会とは真逆の思想になっているという記事が出てしまった。

実はこの記事が出るとなった数日前に、副島は暴漢に襲われて刺され一命を取り止めていて、それについての真相も記事に出そうとする。

しかし、それについては記事にできず、殺人未遂と思われるほどの刺され方だったのだが、なぜか傷害事件として扱われて捜査は進まず、犯人は見つからずに時効となった。

何とも闇深い事件である。

世界日報の告発記事が出たということで、反日的な教義ということが明るみになり、自民党の人たちはものすごい怒ったという記述があるのだが、それにもかかわらず、自民党は勝共連合と協力関係を継続していく。

それはなぜかというと、お互いウィンウィンだからである。


霊感商法に対する批判記事

そんな中で、もう一つのスキャンダルが起きる。

それは1986年、「霊感商法でかなり強引な資金集めをしている」という批判記事が朝日ジャーナルから出る。

80年代は統一教会にとって、かなり逆風が吹き始める時期である。


ベルリンの壁崩壊

ここで大きな時代の転換が起こる。

1989年にベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結する。


どういうことかというと、共産主義の時代の終焉である。

つまり、反共産主義がPRとして弱くなってしまい、統一教会は80年代末にピークアウトを迎えてしまう。

反共産主義の流れで政界と学生運動と密着し、宗教を秘匿しながら信者を集め、それで物販と勧誘でどんどん広げていたのだが、共産主義の勢いがなくなると反共産主義の勢いもなくなる。

そこで大きな転換を迎え、北朝鮮との向き合い方を変える。

中国、日本、北朝鮮というのはサタンであるというのが、この宗教のもともとの考え方である。

しかし、1991年に文鮮明は訪朝し金日成と接見をする。


そしてそれ以降、北朝鮮に対して一転して擁護的な論調になっていき、合同のビジネスを始める。

北朝鮮で広大な土地を任されて自動車の合弁会社を立ち上げ、この事業は最終的には尻すぼみになっていくが、北朝鮮内でビジネスをやるという大きな転換であった。

「統一教会と私」の著者は、この出来事が受け入れられなかった。

実はこの著者は東大のキャンパスで勧誘され、万物復帰(商品販売)も勧誘もうまくいかず、教団内での立場が無くなっていたところ、大学院に進学すればいいかなと思い大学院の試験を受けた。

そうしたら、教授連に「君は原理研究会で統一教会の人間だろう」ということで睨まれてしまい、試験は良かったのに面接で落ちてしまう。

そして、どうしていいかわからなくなってしまい、世界日報に入る。

この世界日報でまさに副島事件を目の当たりにして、急に編集方針が変わり、北朝鮮を絶賛する記事を書かなければいけなくなってしまった。

著者の方はこれが受け入れられなく、教義と違うということで第一の葛藤を迎える。

第二の葛藤は祝福の時で、相手が自分の納得のいかない人だったので、そのときも葛藤を迎えた。

この北朝鮮の路線変更については、かなり大きな衝撃を受けてしまった信者の方もいる。



1992年 テレビ報道の過熱

そんな中で1992年、決定打となるテレビ報道の批判が過熱する。

1992年、桜田淳子さんやオリンピック選手などの有名人が「合同結婚式」に参加している映像がテレビで流れ、これは何なんだということで話題となった。


世界日報が暴露したのが反日的な教義で、朝日ジャーナルが暴露したのが霊感商法で、そしてテレビの映像で合同結婚式が流れ、しかも有名人が参加しているので、これで日本の報道が一気に過熱し、ここで統一教会というものが国民全員に知れ渡ることになる。



今までは雑誌などで一部の人だけが知っていたことが、テレビでがんがん流れたことで、「統一教会=霊感商法、合同結婚式」というイメージが定着する。

さらに、合同結婚式に参加した有名人などが「私は洗脳されていた」ということで批判声明を出し、そのことにより「統一教会=カルト宗教」という大バッシングを受ける。


著者の脱会の経緯

実はこの「統一教会と私」の著者は、この92年に脱会している。

この著者は北朝鮮に対する論調の違いと、教団内での出世のできなさと待遇などが不満だった。

世界日報の給料は月5万円でもの凄く低く、その上、世界日報は記者クラブにも所属してないので、とにかく周りの新聞社から下に見られ、立場が弱く怪しまれ、丁重に扱ってくれるのは勝共連合と仲のいい政治家だけだったという。

実はこの勝共連合と世界日報の関係は、副島事件の後により強くなっている。なぜかというと、副島を追い出すときに勝共連合が仕切っていたからで、いわば世界日報は勝共連合の新聞のようになっていた。

それで勝共連合と仲のいい自民党の政治家は丁重に扱ってくれたが、記者クラブからは除外されている。

原理研究会も東大のサークルからは除外されていて、著者は除外されていても無理やり活動していたわけである。

無理やり活動していて、そして社会に出て、世界日報に入ったら給料は低く、頑張ろうと思っていた仕事は北朝鮮の論調がガラッと変わってしまった。

そんな中で祝福をようやくさせてもらえたと思ったら、自分の全く納得のいかない人だった。

様々な疑問が重なり辞めようと思い、もう一度大学院試験を受け直し、今度は合格する。

その流れで著者は脱会し、脱会したタイミングでテレビの報道が過熱した。


改名「世界平和統一家庭連合」

1992年に合同結婚式が明るみになり、「統一教会=カルト宗教」というイメージが国民全体についたことで、一気に集金が厳しくなる。

統一教会という名前自体がもはや悪名になってしまったので、その2年後の1994年に韓国で改名をする。

それが世界平和統一家庭連合である。

凄いのは「キリスト教」という言葉が抜けていることである。

(旧正式名称は世界基督教統一神霊協会)


この中期以降は、霊感商法に代表するような「家族」と「霊」という方にフォーカスしている。

もともとはキリストの生まれ変わりのメシアであるというところがポイントだったのだが、「先祖の霊の罪を復帰するために、この壺を買いましょう」という方にフォーカスをしていく。

ようするに、文鮮明がメシアであるということでは商品が売れないので、「霊」とか「家庭」とか「先祖」の方にフォーカスしたというのが、改名の理由になったのではないだろうか。

しかし、世界平和統一家庭連合に改名するとなったのだが、日本ではそれがなかなか受け入れられなかった。

特に日本人の女性が合同結婚式で大変な目に遭っている。

日本人の女性は祝福要員で、祝福のために韓国にどんどんと行って結婚するが、向こうはただ嫁がもらえるだけで入っただけの農村のニートだったということが、全てではないにしろよくあるわけである。

そういったことで、日本ではダメだということでずっと改名はできなかった。


文鮮明死去

そんな中で、文鮮明が死去する。これはメシアが死去するという大きな事態で、現在は3人目の妻の韓鶴子(ハン・ハクチャ)が総裁として引き継いでいる形である。


これには相当揉めたらしく、もともと後継者は、たくさん子供がいるうちの第7男になるんではないかといわれていたのだが、韓鶴子との権力争いに敗れ、7男の人は統一教会を辞めて、アメリカでまた違う新興宗教をやっている。

どういう宗教かというと、バックに銃を支援する団体を持つ宗教で、その宗教は銃を持って自衛しようという教義を持っている。

要するに、政治団体に庇護してもらうことで宗教を延命できるというのを理解した上で、アメリカでもそれをやっている。


白を切る自民党議員と安倍元首相銃撃事件

日本においては、いかに教義内容が侮辱的であろうが、集金を過酷にしようが、反共産主義の団体と自民党の選挙協力体制というのは揺るがずに来たわけである。

実は92年のテレビ報道で統一教会に批判が集まったときに、自民党の政治家の人たちは「もう二度と付き合わない」「勝共連合が統一教会だとは知らなかった」と言っている。



それで自民党の政治家たちは勝共連合から一気に手を引き、このときは実際に政治家からの支援が受けられなくなり、世界日報の広告枠も一切埋まらなくなり、たった5万円だった給料も未払いが始まった。

それで著者は完全に転職しなければいけないと思い、大学院を受けたらしい。

まさに92年は激動で、政治家の人たちも「勝共連合が統一教会だとは知らなかった」と言って、「金輪際かかわらない」と口をそろえて言っていた。

しかし、30年後の今はどうだろうか?

今の自民党の政治家が「知らなかった」「なんだそれは?」と、慌てふためいているのはいったい何なのであろうか…

要するに、ほとぼりが冷めるとまた関連団体と選挙協力をしていくということで、30年前と同じことがまた今起きているということである。

おそらく、ほとぼりが冷めたのが2015年なのかどうかは分からないが、この年に文化庁で改名が認可される。

1994年に改名申請をしてから約21年後に改名が認められたわけである。



そして2022年、安倍晋三元首相が銃撃されるという事件が起きる。

「自分の家庭が統一教会によって崩壊した」「統一教会を支援しているのが安倍元首相である」というのが、銃撃した犯人の言い分である。

そして勝共連合が自民党に政治的な支援をしていたということが、今まさに批判されているということである。





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