GHQによる教育システムの解体と助け合う文化の崩壊

GHQによる教育システムの解体

大戦後、アメリカは日本の愛国心の解体と同時にそれまでの社会・教育システムを解体した。

その先頭に立っていたのがGHQである。

戦争を通して日本人の優秀さ、頭の良さを実感していたアメリカは、今後日本が優秀な人物を生み出さないように日本の教育システムをぶっ壊した。

そして、代わりに新たなシステムを導入させたのである。

日本人をダメにするために導入させたシステム、それが私たちが受けてきた「六・三・三」の教育制度である。

アメリカは大戦後すぐ「学制改革」を行い、それまでの日本の教育制度を廃止した。

戦前日本は学校の選択肢が多く、飛び級で上の学校に入学したり、逆に社会人を経て高等学校に入る人もいて個人の能力や生活に合わせた教育が用意されていた。

それが戦後になると、学校は小・中・高・大の「単線型教育」のみにされ、選択肢といえば高校に行くか行かないか、大学に行くか行かないかくらいで、能力や生活環境など関係なく、年齢とともに機械的に小・中・高校と進んでいくだけになってしまった。

選択肢を減らし機械的に進学させるようにした結果、個人個人の能力は平均化され、飛び抜けて優秀な子供が出てこなくなり、その一方で目的を持てない子供や統一化された授業内容についていけずにドロップアウトする子供が出てくるようになった。

さらには、本当は将来の夢を持っている子供が必要のない受験戦争に巻き込まれてしまっている。

それぞれの個性に合わせた従来の教育制度だったら、そんな子供たちは生まれていなかったかもしれない。

当時、アメリカは「民主主義」や「平等」といった響きのいい言葉の旗を振りかざし、この改革を推し進めた。

現在の日本の若者や問題となった「ゆとり教育」の状況を見て、当時の仕掛け人たちは「予想通りの成果」とニヤリと笑っていることだろう。

なんせアメリカが恐れた日本人の知的レベルをまんまと低下させることに成功したのだから。

学制改革こそ「日本の知的レベル」を落とす作戦の第一歩で、いわば一億総ロボット化計画だったのである。



そして、学校には音楽室や理科室といった特別教室があったのをみんな覚えていると思う。

音楽室にはバッハやシューベルトといった人物達の肖像画が飾ってあったが、理科室には科学者の写真は飾っていなかった。

これは日本から優秀な科学者が出てこないように、憧れさせないために飾らないようになっているそうである。


GHQによる助け合いの文化の崩壊

今の日本は個人主義に陥ってしまった。

かつての日本には人と人が支え合い、助け合う文化があった。

しかし、GHQの策略によってその文化が壊されてしまった。

戦後、アメリカは日本の結束の強さはその家族制度にあると考え、それを崩すために核家族化を進めた。

GHQは公営住宅を建設する際、小さな家を作るため畳のサイズを小さくし、一戸当たりの広さを10坪半以下にした。

その後、日本は核家族化によって家庭崩壊をはじめ様々な問題が表面化し、いつしか個人主義になり、まとまりのない国になってしまった。




信じるか信じないかはあなた次第です。





(参考書籍)



なんだか悲しいですね、今や日本は個人主義で、助け合う文化は無くなってしまいました。

昔だったらちょっと用事があるときに、ご近所さんに子供を預けたりとかが気軽にできていたのかもしれません。

それが今では隣の家の人の顔さえ知らないというのも珍しくありません。

これは私の経験談なんですけど、職場でも皆、日本人は冷たいですね。

新しい職場でろくに仕事も教えてもらえず、放置プレイされたりした経験を何度もしています。

職場では日本人は助け合わなくなったように思います。

少しずつでも気づいた人から助け合う文化を日本に取り戻すために、行動に移したいものです。

それから、日本てみんな決まった同じ時期に就職活動とか始まるけど、あれも気持ち悪いな~って思うんですよね…