神人さんとの対話~神社に神様はいるのか?~

都市伝説


今回は「【魂の成長を加速させる】和人チャンネル」より「【炎上覚悟】このタブーを言えば、とんでもないことになります《大日月地神示の神人さんとの対話》」を文字起こししました。

始めに

今回は「大日月地神示」をおろされ本にまとめられた、シャーマンである神人さんのFacebook投稿「神人霊媒日記」から紹介させていただきます。

この投稿内容は、神人さんが自身の指導霊や御霊たちとの対話の中で、確信したものを投稿の中で箇条書きにしたものです。

その投稿を、この動画ではわかりやすくお伝えするために、私と神人さんとの対話形式でお伝えしたいと思います。


神社に神様はいるのか?

*「神社には本当に神様がいるのでしょうか?」

神人「神社に神様は居りません。真の神様は宇宙、銀河、日、月、星、自然、森羅万象でございます。ですから、社の中に住んでいるわけがございません。無論、神棚や御札・御守りにも、神は居りません」

*「では、有名な神社にも神様は存在していないということですか?」

神人「神社には自分を神と思い込んでいる人霊と、主祭霊に従う眷属(けんぞく)霊が居られます。これらは時の権力者の霊たちです

*「それでは、神の社(やしろ)と書く神社ではなく、霊の社と書く霊社になりますよね。ご利益についてはどうですか?例えば合格だとか、縁結びとか、金運だとか、そういったご利益があると言われる神社はたくさんありますよね?」

神人「ご利益は神社庁や神主が考えたものであり、効果のある所や物はほとんど御座いません。残念ながら、思い込まされたものや、人の思い込みによるものがほとんどでございます

*「そうなんですね。俗にいう、信仰ビジネスというものですね」

神人「神社は明治政府によって新しく作られたものであり、神社という呼び方も新しいものであります。そして明治政府は、イギリス指導の下に日本植民地化政策の媒体として運営されたものです」

*「では、何のために神社は建てられたのですか?」

神人「神社は権力者や権力者一族の威厳を後世に残すために作られた象徴的建造物でございます。ですから、祀られている御祭神は時代と共に権力者によって入れ替わってきております」

*「それなら、かの有名な神社で祀られている太陽神、天照大御神についてはどうですか?」

神人「天照大御神とは、太陽神ではございません。太陽神は社の中ではなく、宇宙の中に居られます。人の姿をしてはおりません」


神という言葉の意味

*「太陽そのものが神ということですね。では、神という言葉の意味について教えてください」

神人「神はネイティヴ語のカムイから神に変化したものです。古来、先人らは自然神を敬い、平和的思想の元に霊性の高い世界を築いておりました。縄文時代の1万6500年間は自然そのものが神だったのです。しかし時代の流れと共に、亡くなった人を神として信仰する、人神信仰が大陸から入ってきたのです」


神人の意味

*「なるほど、そうなんですね。ところで、神人さんは何で神人と名乗っているのですか?」

神人「神人には二つの意味があります。一つ目は『神様に感謝しながら生きる人』の意味です。二つ目はシャーマンの意味です。沖縄では海で働く人のことを海人といい、神様に携わるお役目の人、つまりシャーマンを神人と呼びます。そして、ここでいう神様とは自然、森羅万象を指しています」


社が建てられた場所の意味

*「神人の名前の意味はよくわかりました。話を神社に戻しますが、社が建てられた場所の意味というのはあるのでしょうか?」

神人「時の権力者はネイティヴが聖地としていた場所を奪い、新たな社を建設致し、自分たちの祖先を崇めさせてきた経緯が多いです。古来、ネイティヴは山や巨石を依代として祀り、お告げを頂く媒体にしていましたが、権力者に破壊されたり、隠蔽されたりした場所が数多くあります」

*「そのお告げをおろされる役割だった方がシャーマンだったわけですね」

神人「はい、かつてシャーマン(霊媒師)は組織として各地に存在致し、霊団・霊人・異星人らと交信しながら、それぞれに政(祀り)ごとをしてきました。しかし、今では世界のほとんどの宗教は異星人崇拝が起源なのです」

*「では、元々は自然・森羅万象を神として信仰していたのに、途中から宇宙人由来の人神信仰にすり替えられてしまったというわけですね」

神人「はい、さらにその異星人由来の信仰は、善なる者より悪なる者を崇めさせられてきた経緯が多いのです。例えば、若き娘や子供を生贄として差し出す儀式は、悪しき異星人たちによる支配時代からのものです。このような儀式は、かつて日本にも慣習としてありました。このような事実を隠蔽するためにシャーマンは不敬罪に問われ、迫害を受けたり残虐に殺されてきた歴史があるのです。それと同時に、日本各地に古来より伝わる言語や文字も無きものとして歴史から消されてきています」


神社はパワースポットか?

*「神社はパワースポットだとよく聞きますが、そのことについてはどうですか?」

神人「○○神社は良きエネルギーであると言われることを耳にするが、そのほとんどが山や森、樹々、磐が放つ自然エネルギー豊かな場所ということだけです。パワースポットと呼ばれる場所は数多く紹介されていますが、本来は大自然である山、川、海、湖、滝そのものがパワースポットであり、善良なるエネルギーの場なのです。神社敷地内を神域と申し、神聖なる場所としていますが、人間の所有意識によって生み出された土地分配の結果に過ぎず、本来、神域など無いのです。地球そのものが御神体であり、全てが神聖なる場所なのです」


お賽銭について

*「なるほど、神社で定番のお賽銭についてはどうですか?」

神人「賽銭箱に賽銭を投げ込み、願い事を申すというシステムは、御利益をお金で買うといった自動販売機と同じ原理であり、神様を自動販売機同様に考えていること自体が愚業なのです。賽銭とは、神社庁と神社の経費、設備や運営、人件費に換わるものに過ぎず、値段の高低と御利益とは全く関係がありません」


仏教と葬儀について

*「これから神社参拝する時の意識も行動も変わりそうですが、それでは、仏教においてはどうですか?お釈迦様は実在したと言われていますし、経典もたくさん残っていますよね?」

神人「釈迦が書き記したものは、実際のところ何も存在していません。経典は後世の者たちが想像して書いたものに過ぎないのです」

*「でも日本の場合、人が亡くなると必ずと言っていいほど仏教式の葬儀が挙げられ、お経が唱えられますよね?」

神人「葬儀にて経を唱えられても、故人の殆どは喜んでいません。霊人ら曰く、全く心に響いてこないそうです。経によって救われる御霊は、実際のところ殆どいないのです。心のこもっていないお経を読んだところで、除霊にもならなければ、供養になることもない。真相は、読経により仏教霊団が現れ、故人に対し霊団の一員として修行することを強要するのみなのです」

*「ですが、葬儀や法要を怠ると、亡くなられた方が成仏できなくなるのではないですか?」

神人「初七日~四十九日~一周忌、慣例化された法要をしても、御霊は家に居ることが殆どです。死後の世界を理解しようとしない御霊は、自身が変わることをとても恐れるものなのです。法要とは六道の教えであるが、死者はみな地獄に堕ちて一週間毎に裁判に掛けられるという、昔の中国にて考案された作り話を日本が輸入したものであり、全て偽りです。総裁供養とは、本来なら家族や友人、知人らだけで、故人に一人一人が話し掛け、お別れをすれば良いものなのです。定められた儀式儀礼でなくとも良いのです。そして、死後の戒名は実際には何の意味もありません。修行するためには新たな名前が必要であり、仏教徒以外は死後救われないと民衆を洗脳したに過ぎないのです。戒名を知り、己の名前を言える霊人は殆どいません」

*「では、位牌についてはどうですか?先祖の霊の依代になると聞き購入しましたが、小さなものでも、かなりいい値段がしました」

神人「位牌の中に故人の御霊は宿っていません。実際、木片に魂が閉じ込められたなら、まさに監禁地獄です。もちろん、お墓にも故人の霊は眠っていません。誰も来ない暗く冷たく寂しい墓の中で、好き好んで居続ける御霊は極めて特殊な者たちでしょう。真相とは、御霊は自由自在に時空を移動する存在となる故に、位牌や墓の中には存在していないのです」


仏像や観音様について

*「では、有名な寺にある立派な仏像や観音様についてはどうなんでしょう?」

神人「偶像は偶像に過ぎず、拝む対象ではではありません。偶像はあくまでも、誰かの美術作品に過ぎず、崇拝する価値はないのです。○○如来、○○菩薩、○○明王、○○天とは、仏教界が作り上げたヒーローキャラクターたちであり、初めから存在していません。仏像を拝めば救われると申す教えは詐欺同様であり、自己マインドコントロールを促すものでしかありません。仏像とは、木や石、金属で造られたヒーローキャラクターフィギアに過ぎず、ウルトラマンや仮面ライダーのフィギアと同等のものです。これらは全て、国を挙げたお陰信仰によるマインドコントロールの賜物なのです」

*「お陰信仰とは何ですか?」

神人「お陰信仰とは特典付きビジネスと同じで、人集めのために作られたプロモーションということです。ご利益やお陰信仰で有名な所は、人集めのために誰かが作り言い広めたものであり、実際に効力のある所は極めて少なく、そのほとんどが個人の思い込みであったり、誰かによるマインドコントロールの作用によるものなのです」

*「では、仏像や観音様のような存在は高次元にも存在しないのですか?」

神人「仏教界のキャラクターが存在している世界はあります。ただし、それは人の想念によって生み出された幽顕界なのです」


数珠について

*「では、数珠についてはどうなのでしょうか?スピリチュアルグッズやパワーストーンなんかもよくめにしますけど…」

神人「数珠とは、数を数えるための道具に過ぎません。葬儀には必ず持参するべきものと教える者もいるが、信仰ビジネス詐欺です。数珠は魔除けになったり、病治しになったり、幸運を引き寄せたり、霊能力を高めたりはしません。そう思い込まされ思い込む、嘘から出た実となる場合もあるということです。世に出回っている魔除けや札や、御守りと言われるモノは殆ど効力が無いに等しく、機械で印刷された○○キャラクターのイラストに過ぎません。悪魔祓いなど、決してできないのです。幸運になれると謳うグッズビジネスは、殆んどがこじつけ詐欺に等しく、無法ビジネス化しているのが現状です。それでも、すがりたい人にとっては思い込みの世界ゆえに、個人的には果報ともなります」


除霊について

*「除霊と称して、高いお金を請求する霊能者についてはどうですか?」

神人「除霊や供養、病治しと称してお金に余裕のない人々から、数百万 × 何回と数十万も要求することはビジネス詐欺に等しい。除霊は命懸けの作業ではあるが、困っている人や弱っている人に対して、恩着せがましく申したり、大金を請求することは、人として恥ずべき行為であることを理解すること。それから、お経を読んでも殆んど効力はなく、除霊にはならない。変わらぬ霊は変わらないものなのです。基本は霊と対話いたし、納得させるように導くのみなのです。納得させることが出来るか否かは、人徳次第です」


釈迦の教えについて

*「仏教に話を戻しますが、お釈迦様が悟りを開き、お弟子さんたちに伝えた教えについてはどうですか?」

神人「釈迦の教えを守っている僧侶は、残念ながら殆んどいません。見かけや肩書のみで経を唱え、真の釈迦の教えを理解致して生きている人は非常に少ないのです。そして釈迦は死後、何度も生まれ変わっています。仏教界の頂点にいて、あぐらをかいておられる訳ではありません。人々の救済や指導のために、色々な星にも生まれ変わり活動しているのです。
ついでに言っておきますと、釈迦如来(人)と大日如来(太陽)が同じ如来という扱いがなされておりますが、それは後世の者たちによる、過剰な神格化が見受けられます」


先祖供養について

*「では、先祖供養について、もう少し教えてください」

神人「宗教において、故人を『敬う』ことが必要であると教えるが大きな間違いです。亡き者を偲び、親しみ関わることで良いのです。死んで霊人となることが『偉くなる』ということではありません。そして、生きている人はかつての霊人であり、みんな生まれ変わった先祖霊ばかりであるともいえます。故に、肉体人の方が霊人より先祖にあたる者も、たくさん存在するのです。先祖霊を『敬う』必要は全くなく、霊人も肉体人も優劣なく、双方大切に思うことで良いのです」


死後の世界と生まれ変わりについて

*「では、死後の世界と生まれ変わりについてはどうですか?」

神人「死後の世界において、天国や地獄と呼ばれる世界は存在しません。それから、霊性が低いから現次元界に生まれ変わるという教えは大きな間違いです。霊性が高い低いに関係なく理由は異なれど、必要とされる故に生まれ変わるものなのです。転生において、一時間以内に生まれ変わる者から、千年以上生まれ変わらない者まで幅広く存在していますが、魂の進化は学びの多い現次元に転生する程に為されるものです」


悟りについて

*「悟りについてはいかがですか?」

神人「悟りを開くためには、決して難行苦行を必要とする訳ではありません。しかし、難行苦行をしたいという人にとっては必要となるでしょう。誰でも一般社会の行の中で、無限に真理を得ることは出来ます。そして悟りとは『転生しなくとも良い者になること』ではありません。転生しなくとも良い者になることを目的に修行を薦める教えとは、真理を理解できていない者たちの間違った思い込みの論理であり、悟りを開いた釈迦はそのような教えは一言も説いてはいないのです」

*「では最後に、私たちはどのような修行をすれば悟りに近づくことができるのですか?」

神人「衣、食、住、医、政、教、全てにおいて、『真の喜びとは?』『真実とは?』ということを日々探求しながら、感謝と喜びに生きることが真の修行なのです」